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働かせてもらってありがたい〜震災復興と福祉を考える

 ササニシ牛の水田が死んでいた。例年今頃は田植えの緑が見渡す賑い一面に広がるはずの仙台平野。田は灰色の荒れた姿で地平線に向けて広がり、津波で破壊されたおびただしい数の車の山、元が何であったのかもわからない瓦礫の山が平野に浮かぶ古墳群のように点在している。

 田植えの姿も耕運機の姿も一切ない。本来ならこの平野で何人の農業従事者が米作りに励んでいたのだろう。今その人たちはどうしているのだろう。

 被災地支援も兼ねての会議出席のために、松島に向かった。仙台空港から、車窓に広がる景色に息をのんだ。

 5月28日に運転再開をした仙石線で松島海岸駅に到着。この辺りは当然大津波に襲われたが日本三景の松島に救われ、甚大な被害を免れ、観光他も営業を再開した。宿泊したホテルは震災支援センターになっており、全国からの警察・消防関係者、復興事業従事者、ボランティアの宿泊所でもあった。宿の廊下ですれ違う人は、いかにも疫れた様子だが皆が「こんばんは」と声をかけてくる。

 風呂で会った青年は、家を流され職も失ったが、現在は仮設住宅の建設作業に従事し毎朝6時に石巻に出発。巡いときはホテルに戻るのが夜の9時を過ぎるときもあるそうだが「働かせてもらって、毎日お風呂にも入れる。本当にありがたい」、「被災者がきちんと住める二重窓の仮設をつくっている」と誇らしげに話してくれた。美しい笑顔だった。

 一方、東電の補償金や震災義援金を受け取った人は、厚生労働省の指示により生活保護を打ち切られていたことが報道された。

 また大阪からも20人以上が参加した5月30日の中央行動では、福島の原発汚染に対する保育所に通う子どもたちへの対策を、何一つ主体的にとりくんでいないことが交渉の場で明らかになった。

 震災からの復興と、福祉の貧困の課題がこんなに密接につながっていることに、改めて私たちの運動の大切さを思い知らされる。

 自分になにができるのか、今何をすべきか問直してみたい。