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閉塞感を深めさせるマスコミ報道の姿勢

日本新聞協会の報告によれば、朝夕刊を一部と見なしても、04年10月現在の発行部数は約5300万部だという。同調査時点では、一世帯あたり平均1.06六部の購読数であり、それでも4年前の1.12部よりも減ってきているという。

すこし古い資料になるが8年前の97年の調査では、読売新聞は1,016万部、朝日新聞は826万部であったという。アメリカを代表するニューヨークタイムズが107万部、イギリスのザ・タイムスが73万部、フランスを代表するル・フィガロは38万部、ドイツのディ・ウェルト30万部等々、諸外国の新聞にくらべ1ケタも2ケタもちがう数字である。

まさに、あふれんばかりの新聞報道による情報量である。さらに日本国民には、新聞情報に加え毎日のテレビ報道が、数時間ごとに繰り返しのテロップのように情報を浴びせかけている。

新聞部数を紹介し、先進諸国の例を示したが、日本のマスコミ情報がどれほど膨大な量のものであるのか想像していただけただろうか。今や国民生活は、このマスコミ情報を無視して生活することは不可能で、何らかの形で利用したり影響を受けて日本社会を構成している。

膨大なマスコミ情報であるが、その多様性はないに等しく貧しいものである。さしずめ政治の世界でいえば、「アメリカ型二大政党制」をべースにした報道・情報であり、たいへん狭い枠ぐみの中での報道合戦である。また、企業宣伝の多さにも驚きである。朝日新聞で実際をみると、32ページの中、約17(53%)ページが広告で占められている。

このようなマスコミ情報社会の中に、無意識に浸かっていたのでは国民は賢くなることはできない。

マスコミの「小泉劇場」の終わった後、共産党や社民党等が警告していた、憲法改悪案や国民増税案、医療改悪・福祉総切りすて案が、そうそうにマスコミを「賑わして」いる。

マスコミの「賑わい」は、政治から国民を遠のけることに目的があるのであろうか。