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福知山線大惨事と労働組合の役割

JR西日本福知山線の大惨事がおきて一月が過ぎた。この間、マスコミは連日のように事故原因と、会社の体質について報道を繰り返している。

旧国鉄がJR会社に分割民営化された最大の目的は、効率化の名による職員削減と当局に批判的な労働組合(国労)つぶしにあった。そして、政府の管理下にあった保守点検等の事項についても会社の自主活動にまかせるという、規制緩和が同時並行にすすめられてきた。テレビに映しだされた事故現場の車体の変り果てた姿は、何とうすっぺらで軽々しく、くしくも安全性無視を象徴するかのようであった。
日毎に、JR西日本会社の利益優先と上意下達の体質が社会的問題にされているが、このような会社の気風をつくり出した政府の「分割民営化・規制緩和」路線そのものこそ、もっとも批判を受けるべきであろう。ところが、どうであろう。国土交通省の北側大臣はJR西日本会社の安全性不適切の指摘はしても、政府自らの責任はまったく触れようとしていない。これでは「トカゲのしっぽ切り」で終わってしまい、国と会社の真の責任を問うことにはならない。

ところで、このような大惨事が発生するたびごとに、考えさせられるのは労働組合の役割である。かつて食品産業の代表の一つであった雪印乳業は、黄色ブドウ球菌中毒事件をおこし会社は存続の危機に陥っている。雪印乳業では、それまで食品化学産業の中でも有数のまともな労働組合が存在したが、会社の介入による組合攻撃で組合機能を失い、会社へのチェック機能は何もなくなってしまった。今回のJR西日本の大惨事も雪印乳業と同じで、国家的不当労働行為といわれる国鉄労働組合つぶしの下で、「もの言えぬ職場」状態がおこした大惨事といっても過言ではない。

労働組合は、経営から独立し、そこに働く労働者と国民の利益をまもることを常にかかげる必要がある。そして、経営に迎合せず組合つぶしに負けない組合づくりが、今、強く求められているのではあるまいか。