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福祉労働を考える-『逃げたらアカン』から

「組合の悪口が書いてある」と組合員から読書をすすめられた。『逃げたらアカン』(亀井勝著 クリエイツかもがわ発行)である。

辛口ではあるが、福祉労働のあり方や社会福祉事業を考える上でたいへん示唆に富んだ著物である。記述のなかで「福祉保育労大阪地本」は悪者にされているが、そこは値引きして読めばよい。

以前から著者が職人肌の方だと聞いてはいたが、元宮大工であったとははじめて知った。「法隆寺」宮大工棟梁の西岡常一氏は多くの著作を残しているが、『逃げたらアカン』は西岡の著物に共通する匂いがただよう。

よく「福祉労働は集団労働」と言われるが、福祉労働者はこの点を深く吟味する必要があるのではなかろうか。教育や福祉など対人関係のしごとは、ねばりと細心なまでの丁寧さ、そして、毎日の仕事の反復から醸しだされる労働者ひとり一人の個性の豊かさが必要とされる。マニュアル仕事ではすまされない。この点は、まさしく職人に共通するものといってよい。しかし、「職人しごと」の福祉労働ではあっても、福祉労働者には労働基準法は適用しなくてはならない。その点、どのように考えていけばよいのであろうか。

著者は「はじめに」で、登場人物について「一部に仮名を使う」と断っている。しかし、記述に「福保労大阪地本の水野洋一郎委員長」とあるが、そこは仮名ではなく誤植であろう。「水野洋次郎委員長」とキチンと書くべきである。著者は、障害をもつ子の親として職人の世界から社会福祉事業にたずさわるようになったという。ところで、記述のなかで批判されている水野委員長は、肢体障害の刺繍職人の父親に育てられたという。障害をもつ子の親心と、障害をもつ親に育てられた子心の「福祉観」や福祉労働のあり方の相違点など、語り合えばおもしろいテーマだと思うのだが。

はじめて公開された「きょうされん」批判は圧巻である。「きょうされん」がなぜこのような今日に至ったのか、解明と引き続きの検討が必要であろう。