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2003年度は選挙づくめの年、悪政を変えよう

近代日本の幕開けとなった135年前の明治維新は、薩長土肥の官軍が徳川幕府を打倒したところがら始まった。歴史教科書の多くはこのように教え、事実、官軍と幕府軍との内乱状態の上に明治政府は樹立された。徳川幕府は軍事力で官軍に劣っていたから崩壊したのかといえば、要因はそれだけではない。
幕末のころ、農村では大量の棄民・子殺しが発生し、徳川封建経済を支えていた農業生産の破綻こそ、徳川幕府崩壊の最大要因にあげる学者もいる。棄民とは農民が離村して流民化する事であり、子殺しは食べていかれないために子どもを農民自らの手で亡くしてしまう事である。
さて、今日の時代である。うがった見方かも知れないが、棄民と選挙での投票率の余りの低さは、どこか似てはいないであろうか?また、子殺しと少子化の共通項はどうか?
棄民は農民を放棄する事であり、実質的に農業ストライキでもある。とは言っても農民一揆のように農民の憤りの積極性を、そこに見る事はできない。それは消極的・あきらめ的な結果としての抵抗であり、結果としてのストライキである。
この消極的・あきらめ的抵抗こそ、選挙権を行使しない国民感情とどこか似ている。しかし、棄民は封建経済を崩壊に導いたが、選挙権行使の放棄は決して今日の悪政を崩壊に導くことはない。反対に悪政を容認し、助長する以外の何ものでもない。この点では、選挙権行使を放棄する消極的・あきらめ的な有権者を積極的な抵抗者として、どのように甦らせるのか。この課題は、今日の労働運動の最重要課題ではなかろうか。
子殺しに通ずる少子化問題は、さすがに支配者も国の将来に係る重大事と感じているのであろう。さきの国会で「少子化対策法」が超党派の賛成で成立した。しかし、具体の対策は与党と野党、野党間でも、政策は大きく異なる。ここでの問題は、国と自治体の直接的な公的責任ですすめる事である。
選挙は間近い。国や自治体の悪政を何としても変えたいものだ。