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怒りをこめて「原爆許すまじ」をうたおう

17才の高校2年生の修学旅行だから、約40年も前になる。当時、名古屋の高校の修学旅行は、北九州7日間の旅であった。長崎からはじまり、阿蘇を横断して別府から夜汽車にのって帰途につく。
修学旅行の前日、私たちは体育館にあつめられ、旅行上の諸注意を受けたはずである。通り一遍の注意だったようで、何の注意であったのかまったく記憶にない。それよりも、これから行く北九州がどのような地であるのか、体育館の床に座って聞いていた記憶がかすかにある。
鮮明に記憶していることは、「原爆許すまじ」の歌唱指導があったことである。
この高校は私学の男子校であり、名を出せば甲子園・高校野球の愛知の名門である。
ここでの歌唱指導で、わたしは初めて「原爆許すまじ」の歌と出会った。「原爆許すまじ」には『ああ許すまじ原爆を…』のフレーズがあるが、「この『ああ』は感嘆の『ああ』ではない。怒りの『ああ』だ。きみたちの『ああ』からは怒りがききとれない」と、歌唱指導の男教師は原爆投下の悲惨さと原水爆禁止を訴える世界大会が毎年行なわれていることを生徒たちに語った。
原爆被害のむごさと原水爆反対のメッセージを生徒それぞれにイメージさせ、「原爆許すまじ」は何度も歌いなおされ、歌詞も自然と頭と心に入り「ああ」は感嘆から怒りの「ああ」に変っていった。
この記憶は、母校が春・夏の甲子園に来るといつも思い出すものの一つであり、八月の平和行動の折々に思い出す記憶でもある。
「原爆許すまじ」の歌唱指導一つとってみても、教育のはたす役割はいたって重要だ。今だに記憶に残るこのような体験をもつわたしは、貴重な教育を受けてきたと思う。私学で自由な校風と40年前の時代が、このような教育をつくっていたのであろうか?
教育基本法改悪がいわれる今日、平和・民主主義と教育との関係を、この際おおいに論ずる必要があるのではなかろうか。今ほど民主教育守れの世論をひろげる大切な時代はないと思うのだが。